シグナル100
橋本環奈ちゃんがヒロインを務める、学園ホラー?
担任を務めるクラスの生徒に慕われていたはずの先生(中村獅童)が、クラスの生徒に自殺をしてしまう催眠術をかけていた。しかも、自殺へのシグナルは100もある。
遅刻、授業中の携帯の使用、、、どれも確かに教師からすると生徒に改めてほしいところでありましょう。とはいえ、自殺させなくてもよくないですか?
そんなことを思いながら観ている時に放つ担任の言葉は以下の通り。
「覚えているかな
この世には何の前触れもなく起きることがたくさんあると教えた。
それは自殺にも言えるんだ。
ある日突然に自殺する人がいる。
悩んでいた様子もなく、周囲はその人がなぜ命を絶ったのか理解できない。
でももしかするとその人が自殺した原因は意外と単純かもしれない。
例えばその人がいつの間にか自殺する催眠にかかっていたとしたら」
それを聞いて、悲しくなりました。
なぜなら、タイムリーだったから。
映画はそこそこ面白い程度でしたが、そのセリフが心に残っています。
身内が自殺したことはありませんが、親しい人が亡くなるのは悲しいことです。
病気で入院していた父を自宅で看取ったとき、覚悟していたのにすごくつらかった。
なのにこの悲しみが心の準備もなく迎えるなんて、なんて大きなショックだろう。
想像するだけで心臓が必要以上に鼓動を打ちそうです。
映画を見るとき、ストーリーやキャストを重視して観ますが、
今回に関しては、そのセリフが最も心に残りました。
ちなみにこの映画の見どころは、
橋本環奈ちゃんが学校で夜明けを迎えて泣くところです。
ぜひあおりで撮影している彼女の泣き顔をご堪能ください。
神と共に
2019年公開の韓国映画。
前後編に分かれています。
韓国の人気ウェブコミックを実写化した映画です。
命を落とした人間が7つの地獄の裁判を49日間で受けなくては行けず、そこですべて無罪になったもののみ「貴人」と認められ現世に生まれ変わることができる。
前編 少女を守って命を落とした消防士を19年ぶりの貴人とするべく冥界からの使者三人組が奔走します。さて、消防士は無事貴人となることができるのでしょうか?
後編 訓練中誤射による事故で亡くなった、前編の消防士の弟。その弟は怨霊となって暴れていた。その彼を救うべく兄を弁護した冥界からの使者三人が再び奔走する。
しかし、前編は後編の序章でもありました。冥界の使者はどうして冥界の使者となったのか。三人の関係は。それが後編で明らかにされていきます。
正直なところ、韓国のドラマは好きではありません。
映画も、そんなに食指が伸びません。
実際、この映画は韓国映画だとは知らずに違うものと勘違いして録画したものです。
何処の国の映画にも当たりはずれがありますし、個人の好みもあります。
でも、この映画は私の好みでした。
冥界を壮大なCGで表現しています。出演者も層々たるメンバーです。
その中でも、私の一押しはチュ・ジフンです。
まあ、カッコイイですよ。
最初は気に食わなかったのですが、話が進むにつれどんどん魅力的に見えてきました。
マ・ドンソク、ハ・ジョンウ、イ・ジョンジェなどの名優さんたちも出てます。
できれば一気見してほしい映画です!
そして、泣きたいときにおすすめです。
君の名前で僕を呼んで
2017年公開の作品です。
基本、WOWOWの冊子が届いたら、初放送の作品を探して観ています。
そんな軽い気持ちで観てみた映画でしたが。
ともかく美しい。
舞台となる街や家、
夏という季節の透けるような青空、
そして登場人物たち。
全てが日本とはかけ離れています。
(青空は日本にもあるかな)
その中でも特筆すべきは、主人公の少年です。
透明感のある肌と瞳、魅了されずにはいられませんでした。
映画の内容としては、ひと夏の愛の思い出、という感じでしょうか。
最後にお父さんが彼にかける言葉が優しかった。
少年の両親は、とても器の大きい人たちだとも思いました。
この映画は絶賛されています。
その恋というべきなのか、愛というべきなのか、その胸をつぶされるような苦しさを疑似体験させてくれる映画だと私も感じました。
しかし、私にはもやもやする映画です。
彼は最後には愛する相手と別れることになるのです。
その理由が、もともといた婚約者と結婚するから、という理由です。
二人の間に存在した愛は彼の中に残ったままなのに。
これは、同性を愛することを隠して生きてきた青年が、自分がひと夏お世話になる教授の息子が自分に気があることに気が付き、今まで隠して我慢していたことをやめただけ、ということではないでしょうか。
少年の若さと美しさを思う存分堪能して、その思い出をこれからの長い余生のひそかな楽しみにしようとしただけなのではないでしょうか。
既婚者が、妻が里帰り出産している間に若い女の子を関係を持って、子供が生まれたら捨てるという構図と同じではないでしょうか。
そう思うと、最後のシーンで少年と共に泣いてしまいました。
映画の解釈は人それぞれですよね。
知恵袋で素晴らしい解説をしてくださっているものを拝見して、感銘も受けました。
ただ、美しい街にあこがれは募りましたよ。
イタリア、いいなー。
勝手ながら総裁選予想してみた(根拠なし笑
まずは安倍総理、お疲れさまでした。
難病を抱えながら生きていくのは誰にとっても簡単なことではないと思います。
それが要職であればなおさらです。
歴代一位になるまでよく我慢したと思います。
オリンピックまでなんとか、と思われたのではないかと思っていたのですが、
もしかしてオリンピックはもうないと予測したのかな?
で、
総裁選って日本国民にとって最も意見の反映されない選挙ですよね。
子供とも話しましたが、総裁選をテレビでやることに意味はあるのでしょうか。
テレビに映ることが選挙戦として重要なのだとどこかで言ってましたが。
だとしたら、圧倒的に菅さんですよね、官房長官としてもずっとテレビに出てるし。
石破さんはそのキャラクターで、総裁選関係ないときにでもテレビに出てた。
それに比べて岸田さんは、名前と顔が一致する程度。
安倍さんのために前回は総裁選をあきらめた人だというのに。
ということで、
今回は菅さん、
その次に岸田さん、
二人がちょっとづつやった後、河野さん。
こんな感じでしょうでしょう。
私としては、河野さん一押しです、今回はあきらめたみたいだけど。
河野さんなら、海外の人と比べても押し負けない感じがします。
英語もできるしね。
以上です。
うちのパパは、(元)多部未華子で(現)石原さとみ
連れ合いとの結婚を決めたのは、出会って一か月の頃。
出会ってまだ数回だった。
正直、仕事は何をやっているかも知らなかったし、勤め先の名前も聞いたことがある程度。だから、仕事内容なんて、結婚してからも全然わからなかった。
そんなこんなで、結婚してもうちょっとで20年にもなる今年になってやっと、夫の仕事について理解する機会を与えられたのである。
テレビドラマの影響ってすごい!
ドラマで私も子供たちもパパの仕事内容を知るとは!
正直、ドラマは誇張されているので、多部未華子の演じる主人公にあこがれる方には気を付けてほしい。
そこそこ上位の製薬会社に入ってMRになったところで、あんな広い部屋に住むことはできない。現に夫はおそらく三本の指に入る製薬会社に居たがワンルームに住んでいた(それなりにましなマンションだけれど)。女性MRは、お医者様と会うときにたぶんあんなふわふわした服は着ない(あれ、仕事着?あらぬ誤解を招きかねないので)MRは数年で担当が変わるし引っ越しも多い。朝は6時前には起きていた。仕事用の車に書類をたくさん積んでいて、そこでお昼を食べて昼寝もする。
お医者様周りをするMRと薬局周りをするMRでは差があるらしい(前者の方が位が高い)。
医者とのゴルフなんてもうない。
今現在、夫は大手の調剤薬局で薬剤師として働いている。
転職先を選んでいたとき、病院の薬剤師は大変だから選択肢にはないと言っていた。
その理由はドラマでなんとなくわかった。当直もあるし。
調剤薬局も忙しい。でもドラッグストアでないので品出しとかしなくていい。病院より給料もいいらしいし。MRよりは二割ほど給料は減るけれど、以前の様に車で移動している途中に事故にあったらどうしようと心配しなくて済む。朝もそんなに早くないし、仕事を持ち帰ることもない。
ドラマの舞台のように調剤室は広くはないので、走り回って薬を探す必要はないけれど、ずっと立ちっぱなしなので年を取っているので腰を痛めてしまったが。
病院でも調剤薬局でもそうだと思うが、患者の数が多いので、一人の患者のために病院から出て調べに行ったりはしない。薬剤師が医者を非難するような発言を面と向かってしたりしない。
でも、薬剤師は患者にとって最後の砦、というのは正しいらしい。
医者が意外と薬の知識が無かったりする。
だからお薬手帳はとても大事。
そのことはドラマでは詳しく言っていないかもしれないけれど、飲み合わせが重要なのでぜひお医者様のところに行くときは持参してほしい。
ともあれ、どちらのドラマも家族で楽しんでみている。
何処に注目するかは家族でもばらばらだけれど、パパとの距離が近くなったのではないだろうか。
罪のないものだけが石を投げよ
人は倫理に基づいた人生を送っている。
やっていいこと、悪いことは成長している間に学んでいっている。
だから大人は「おとな」になれるんだって思っていた。
ところがどうだ。
どこに「おとな」がいる?
みんな自分勝手で、人を傷つけて気持ち良くなっている。
しかも、隠れてこそこそと。
その行動を非難されるようになると、「そんなつもりじゃなかった」とか言い訳をしだす。
それは、みんなが形のあるもの、分かりやすいものを崇拝するようになったからなのではないだろうか?形のない、「こころ」を大切にしなくなったからではないだろうか。
でも、私はそんな人たちを非難することはできない。
だって自分だってそんな人間の一人だから。
でも、このままではいたくない。
だって、それじゃ私の子供たちが同じ過ちを犯してしまうから。
そんなこと絶対避けたい。
最近、不祥事を起こした世間的に目立つ人々をよく見るけれど、
そんな人を見て怒るのはやめた。
なぜなら私にはその資格がないから。
「罪のないものだけが石を投げよ」
これは聖書に出てくる神の子の言葉だ。
姦淫の罪を犯した女を裁く場面で試された神の子が人々を諭した言葉である。
誰だって一つくらい罪を犯している、大なり小なり。
そんなあなたが人を責められるのだろうか。
ちなみにこの場合、放っておくとその女性はみんなに石を投げつけられ殺されていた。
あなたに人の命を左右する権利があるのだろうか。
(正直なところ、凶悪犯に関しては賛成できないけれど。)
人を非難する前に、一度あなたの人生を振り返って冷静になれば、人の命を奪うこともなくなるだろう。
その人の罪だって、考えてみたら本当はそんなに大きなものではないかもしれない。
聖書の「姦淫」は、実際行うことだけを指すのではなく、想像することにも適応される。
「あの人とあんなところでこんな風に…」
と想像しただけで「姦淫」の罪を犯したことになるのですよ?
それで石で撃たれて死ぬのはあまりにもひどいとおもいませんか?
そう思えば、あなたがいま非難しようと思っている人の罪は実はたいしたことではないと気が付くかもしれない。非難にすら値しないかもしれない。
「おとな」とは、ただ年を重ねればなれるものではない。
人の喜びや悲しみを感じ取ることができ、共感できる人だと私は思う。
誰かに腹を立てた時、自分が人を裁ける「おとな」なのかも今一度考えてほしい。
「罪を憎んで人を憎まず」という素敵な言葉もある。
これ以上、人を憎んで非難して追い詰めることをやめてほしい。
体の傷は癒えても、心の傷は癒えることは無いのだから。
心の傷が引き起こす、あの結末…